正しい政治と豊かな暮らし

掲載日:2025.01.07

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皆さま、新年明けましておめでとうございます。

 

前回、私が無所属議員を貫いている理由について書きましたが、無所属で議員を続けていると、少数派ということもあり非常に厳しい風当たりを受けます。ましてや選挙ともなると、組織的支援が無いため、ほとんどの準備を個人でやらなければならずいつも苦労します。

私の偏見かもしれませんが、日本という国は同調圧力が強くて、人と違う方向を向いたり、一人だけ違う意見を言ったりすると疎まれてしまうことも多いように感じます。

 

私の信条は「100人いれば100通りの考え方がある」ということです。かつて、市職員だった時代、市営住宅の家賃徴収で滞納世帯を訪ねていた時もそうでした。

ちまたには「こうすればバッチリ!」といった様々なハウツーであふれかえっていますが、経験上、「人を動かすのに正攻法は無い」というのが私の考えです。上に書いたように、100人いれば100通りの生活があり、100人いれば100通りの価値観があります。それらを無視して一つのルールに当てはめようとすれば必ず歪みが生まれます。100にいれば100通りの対応が必要です。

議会でも忖度なく率直にものを言うがゆえに、嫌みを言われたり、「余計なことをしゃべるな!」とばかりに嫌がらせを受けたりすることもありますが、それでも私が考え方を曲げないのは、子どものころから「自分が理不尽だと思うことには安易に従わない」という信念があるからです。

 

この日本という国で、長い物には巻かれながら生きていくことは一見楽ですが、はっきりノーと言わなければ、言いなりになって働かされ、大事な財産も吸い上げられます。国民が団結しないように分断し、都合のいいように動かして、自分たちの利益に変えるのが政財官に潜む権力者の狙いです。

国会を変えていくためには、まず自分たちの住むまちの議会から変えていくこと、千歳市民のための千歳市に変えるためには、まず市政にノーと言える千歳市議会をつくるしかありません。そしてそれを可能にするのは有権者である千歳市民しかいません。

 

全国にロボット議員を量産して、すべての国民を同じ方向に向かせようとするのが与党政治のやり方です。時代の変化に対応せず、諸外国に言い負け、利権団体や宗教法人などと結託して自らの利益を優先する政治家がはびこった結果、失われた平成の30年間で日本はすっかり弱い国になってしまいました。

国が豊かになると言う事は、ただその国に住んでいる人たちが日々楽しく、憂いなく暮らせるということ。

 

個性ある人間を同じ形、同じ大きさの価値観に納めようとするから、心身を病んでしまう。嬉しい時は笑い、悲しい時は泣き、だまされた時には怒る。人間らしい感情を失わずに暮らせる社会が本当に豊かな社会だと私は思うのですが、皆さんはどうお感じになりますか?